読書メモ〜包摂と排除の歴史〜

最近読んだ本について。

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失われた時を求めて』の個人全訳で有名な仏文学者による、小松川事件と金嬉老事件についての本。
彼は、李珍宇(小松川事件で二人の日本人女性を殺害)が記した往復書簡集『罪と死と愛と』に衝撃を受けて、在日論を書き、金嬉老事件では、8年半に及ぶ裁判支援を行った。

この本は、サルトルの『自我の超越』のなかの次の言葉に吊り支えられて書かれているといえよう。

「実際、私の《我れ》は、意識にとって、他の人びとの《我れ》よりもいっそう確実だということはない。ただ、いっそう親密なだけである。」

自分の存在だけが確かで、他者への配慮も他者の目に写る自分の姿への反省もないエゴイスティックでナルシスティックないまの日本に対する強烈な批判がなされていて、深く考えさせられた。

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1959年から実施された在日朝鮮人北朝鮮への帰国事業についての本。
いわゆる「人道的な措置」として行われたというのが定説の帰国事業であるが、実は、日本政府にとって、あらゆる意味で「お荷物」だった在日朝鮮人を厄介払いする国策としてスタートしたものであるという事実があった。
以下、参考までに朝日新聞に掲載された書評を引用しておこう。

■政治に汚された「帰国事業」を再検討

 国際社会では、時に人道の名において政治がおこなわれることがある。日本と国交のない北朝鮮への在日朝鮮人の「帰国事業」は、人道的な措置として1959年から実施された。しかし延べ9万3千人以上に及んだ帰国者の多くは、韓国の南の地域の出身者であり、後に北朝鮮で迫害されたりすることになる。

 著者は、新たにジュネーブ赤十字国際委員会(ICRC)の数千ページに及ぶ「帰国事業」の資料を発掘し、その政治的側面を明らかにしている。資料からすると、「帰国事業」に井上益太郎を先頭とした日本赤十字社が積極的だったのは、生活保護世帯や左翼が多かった在日朝鮮人を、ていよく厄介払いする意図があった。

 でももし、北朝鮮政府が在日朝鮮人の大量の受け入れを認め、ICRCが支援するということがなければ、大がかりな帰国は実現しなかっただろう。ICRCの援助は、韓国の強硬な反対をかわしアメリカの承認を取り付けるためには不可欠だった。

 本書によれば、北朝鮮政府には、国内経済建設のための人員不足の状況を打開し、「帰国事業」への韓国の反対を打ち破って、国際政治上での北朝鮮の優位を実現する意図があった。そしてICRCは、日本側の意図を疑いつつも、在日朝鮮人が日本国内で差別されている状況に対して無知であった。ICRCによる帰国する人々の帰国意思の最終確認も、日本と北朝鮮の双方によって形骸(けいがい)化された。

 本書には、ある種の暴露ものの面があるが、暴露ものにありがちな一面的な叙述が見られない。著者によれば北朝鮮への帰国者は、日本で疎外され国外に逃れようとした難民の一種であった。彼らが難民として脱出するには、一人一人で異なる動機があった。

 国際政治において、人道なんて空虚なタテマエに過ぎないという見方もあるだろう。しかし著者は政治に汚された「帰国事業」を、難民を支援する人道の立場に立って再検討し、その責任を問おうとするのである。著者の感性が光るドキュメンタリーであるといえよう。

[掲載]2007年06月24日
[評者]赤澤史朗(立命館大学教授・日本近現代史

いわゆる左翼や生活保護世帯の多い在日を効率よく処理するための帰国事業だったという事実。
ここで、1959年から始まった点に着目したい。
国民皆年金体制が確立したのは1961年(昭和36年)。国民皆年金体制を構築するにあたり、在日朝鮮人の存在が大きな負担であったことが想像されよう。この本には書かれていないが、帰国事業は、ある意味国民皆年金体制を構築するための手段の一つであったとはいささか考えすぎであろうか。

と、国民皆保険体制と在日朝鮮人問題について論文を書いてみようと思い立ってしまった。

とはいえ、あまりにも歴史的な知識が大きく欠落してしまっている。
勉強しなければならない。
そこで、家にあった下記の本を出してきた。

日本の近代社会における日本人というアイデンティティの変遷について(そもそもナショナルアイデンティティは近代の産物であるのだが)、「朝鮮生まれの日本人」がどのように創造されたかについての記述だけをピックアップして読んでみた。1910年の日韓併合から1945年の解放まで。近代という時代特有の「包摂と排除」のメカニズムが見事に働いているということを実感。詳細については現在整理中。追って書き込むことにする。

そういえば、この本もこの間買ってきたんだっけ。

歴史の共有体としての東アジア 日露戦争と日韓の歴史認識

歴史の共有体としての東アジア 日露戦争と日韓の歴史認識

これについては未読。